能勢街道の歩行記録(2015/2/14 大阪市中津 元萩之橋碑~亀岡市 道路元標 間)

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(1)阪急中津駅から、JR線の下をくぐり、東へ行ったところに、西国街道(中国街道)との分岐点があり、ここが「能勢街道」の出発点である。
   「元萩之橋」碑は、ローソンの店先にあった。
(2)出発点を北上し、JRをくぐる。
(3)途中、右手に富島神社がある。創立年代は不詳であるが、足利時代には存在していたとされる。ここで、道中の無事を、お参り!
(4)淀川堤防に突き当たるので、この橋を渡ると、淀川堤防上に出る。今回は、ここを東に向かう。
(5)新淀川大橋の手前で、一旦堤防下に降り、新淀川大橋の下をくぐって、歩行者が橋を通るためのらせん階段を上。
  そのポイントが、この写真。徒歩で、淀川を渡る。新淀川大橋を渡り、一旦堤防下に降りた後、新淀川大橋の下をくぐり、堤防上を西へ向かう。
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(6)堤防上をしばらく歩き、木川水防倉庫が、ある箇所で、堤防を降りる。
(7)ここを、左折する。
(8)右にある、この細い道に入る。(一方通行)
(9)信号のある交差点に出ると、右手に能勢街道の道標と説明板がある。付近の街道の詳細な地図も載っているので、参考になる。
(10)ここを、左折。
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(11)ここを右折。道が細いので、見逃さないように、要注意。
(12)アーケードの商店街にぶつかるので、ここを左折。
(13)アーケードを抜けたところで、右折。
(14)阪急電車の踏切の名は、「能勢街道踏切」。ここを通り、しばらく北上する。
(15)左手に大きな屋敷を見ながら、さらに北上すると、IRの踏切を通る。ここの踏切の名も「能勢街道踏切」。
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(16)さらに1.4km程度北上すると、阪急三国駅を過ぎた辺りに、1362年には存在していた「三国の渡し跡」がある。また、三国橋の説明がある。
(17)三国橋を渡り、最初の分岐点を右に進むと、天竺川に出るので、その西岸を北へ向かう。(交差点の通過がややこしい)
(18)1㎞程度歩くと、天竺川が曲がるポイントがあり、ここで、左へ降りる。600m程度進むと、国道176号線に出るので、その左側を北上。
(19)すぐに服部集落への入口があるので、ここを左に入る。すぐ突き当たるので、左折。
(20)すぐに、右折。ここから服部のメインストリートに入る。
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(21)すぐに、右手に足の神様「服部天神」がある。菅原道真公が、大宰府に向かう際、足の病で歩けなくなったが、この社にお参りされたところ、病が癒えたことから、以降、足の神として、信仰されている。
(22)これが、「健脚祈願」のため、参拝する際に、祈願を行う、「足踏み石」です。私も、祈願したお蔭で、無事能勢街道を一日で踏破できました。
(23)そのあと、阪急 服部天神駅を左に見ながら、北上し、この場所を左に行くと線路にぶつかるので、右折し、線路沿いに歩く。
(24)線路側に、カーブミラーがある場所を左に入る。
(25)国道の手前に、能勢街道の説明板あり。
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(26)国道を渡り、左に行き、すぐの交差点の少し右側に旧街道の入口がある。(止まれの標識有)
(27)ここが、その入り口を入ったところで、すぐに左折する。
(28)再び国道に出るが、すぐに、右斜めの道を入る。
(29)少し行くと、箕面街道との分岐点に出る。交差点の向こう側に、道標が見える。
(30)これが、その道標。「右 みのを 勝尾寺山・・・」「左 池田道」とある。能勢街道は、この道標の左を行く!
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(31)かつては、左手のマンションの中を通っていたようであるが、今は、通れないので、この先を左折。
(32)「南桜塚交差点」に出る。交差点手前に、地蔵堂あり。
(33)「南桜塚交差点」を国道の向こう側に渡り、旧道に入る。「萩の寺参道」の表示有。曽根駅近くの萩の寺が近い。
(34)交差点から500m程度歩くと、岡町商店街のアーケードに入る。その途中に「原田神社」があるので、お参りして行こう。
(35)これが、その本殿。
奈良時代以前の天武天皇の時代の創建とされる。
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(36)アーケードに戻り、北上すると、アーケードを出たところ、左手に、道標と岡町の説明板がある。
(37)能勢街道と岡町の説明が、これ!
(38)この辺りは、旧家が残っている。虫籠窓のある家屋は、3軒ある。
(39)さらに北上し、この場所を左折。
(40)すぐに、この地蔵堂があるので、ここを右折し、国道に出る。
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(41)豊中駅前から北上(ケンタッキーとMUFJの右を通り)し、千里川橋を渡る。これは、その欄干にあえうモニュメント。
(42)ここを左へ!刀根山越えの始まります。右は新能勢街道で、明治中期に刀根山越えをせずとも済むように作られた道だそうです。
(43)ここを左へ入ります。
(44)すぐに、ここを道なりに右へ。
(45)急坂をのぼり、突き当りを左へ、そしてすぐ右に行くと、突き当りにはこのような道標があります。ここを左へ行きます。
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(46)No.45の道標のところにある説明板です。
(47)そのまま上ると、中央環状線ぶち当たります。街道はそのまま真っ直ぐに伸びていたようですが、真っ直ぐにはいけないので、迂回します。ここは、まず左折。すぐに大阪大学の正門へ向かう橋が左にあるので、渡り、そして正門前を左折。
(48)少し行くと、横断歩道の先の小屋の手前に、街道入口があります。未舗装が5m程度。段差もあります。
(49)道の右側を行くと、側道の色が変わっているので、その側道を行きます。
(50)そのまま道なりに進むと、阪急電車の踏切に出ます。ここが、西国街道との交差点。旧石橋村の高札場です。
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(51)高札場の説明板です。
(52)踏切を渡り、少し進むと、高架の先に石橋の商店街(アーケード)です。この中を通り抜けます。途中、右手に阪急の石橋駅があります。
(53)商店街を抜け、赤い橋を渡った右側に、石橋の名の由来の説明があります。
(54)同じ場所に、能勢街道の案内板があります。参考にしてください。(池田市内には、何か所か、このような案内板があります)
(55)国道の高架の手前をやや斜め左に行き、高架の下を通り、阪急バスの敷地の真ん中を通って行くと、「二子塚古墳」があります。
    これは、その説明板です。
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(56)しばらく進むと、突き当りに、正面に地蔵堂、右手に道標と案内板があります。ここを左折します。
(57)これが道標と案内板です
。案内板に、次のポイントの「ニシンジョの地蔵と道標」の記載あり。
(58)ここが、さっきの案内板に記載のあったニシンジョの地蔵と道標です。ここを右折し、水月公園へ向かいます。
(59)水月公園に来ると、能勢街道の案内板があります。
(60)ここが水月公園です。
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(61)900m程度まっすぐ進むと、辻が池公園がある。
(62)ここには、能勢街道の案内板がある。ここを右折、次の交差点を左折(公園の反対側に渡っておきましょう)。公園を沿うような形で進む。
(63)公園の先、ここを(進入禁止の方向)に、入っていく。
(64)ここが、上池田薬師堂です。
(65)近くに、天文15年の地蔵があります。
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(66)ここを右折、すぐに合流します。元々真っ直ぐに道は無く、能勢街道は屈曲していた。昔橋だった場所に欄干のみ残ってます。
(67)星の宮神社の壁にある案内板です。
(68)星の宮神社と、道標です。
(69)坂を下りきった交差点(池田職安前)の左側にある案内板です。
(70)交差点の先の道の右側に、能勢街道と巡礼街道の案内板あり。
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(71)大正七年に建造された旧加島銀行池田支店です。国登録有形文化財に指定されています。東京駅、日本銀行本店の設計を行った近代建築の開拓者 辰野金吾が関わっています。
(72)その先にある落語ミュージアムと旧家を使ったラーメン屋さんです。
(73)その先を右折したところにある旧家です。
(74)西光寺前にある道標です。ここを右折。道なりに進みます。
(75)国道に出ると右折し、北上。国道沿い右手にある旧家です。
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(76)さらに進むと、右手に新宅の道標があります。ここで余野街道と分岐します。
(77)阪神高速高架下まできたところに、能勢街道の案内板あり。
(78)猪名川に、人とり石がある。
(79)川西市が世界に誇る花材の卸会社「花宇」です。明治元年から続く老舗です。
(80)猪名川に、たすけ岩があります。
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(81)国道を北上し、古江橋を渡った場所、左側にある能勢街道の案内板。
(82)案内板の国道の反対側にある古江橋の道標。妙見道との分岐点。妙見道は、能勢電妙見口駅近くで、能勢街道と合流する。
(83)案内板の通り進むと、右手に石灯籠と古江の道標がある。
(84)その先を左折(山にぶち当たる前で左折)し、国道に合流するの直前で右側の急坂を上っていく。
    No.81の江戸時代の山越えはしないでおく。
(85)急坂をのぼり切り、左折後、下りの途中から、多田の町を臨む。この後、能勢電沿い(左側)を進む。
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(86)多田駅前にある多田神社への御社道の分岐点。元禄元年(970年)創建の多田神社は、源氏発祥の地である。(西へ1.3km)
(87)国道に合流し、吉野屋の先で左に入り、坂を上ると、多太神社がある。創立年代は不詳だが、本殿は元禄6年(1693年)の造営。
(88)多太神社の鳥居を左に見ながら進むと、道標を兼ねた地蔵堂がある。
(89)そのまま進み、国道に合流し、平野駅の先に、日本初のサイダー「平野水」「三ツ矢サイダー発祥の地」がある。
(90)国道を進み、一の鳥居の交差点を右折し、国道477号線を進む。
 一の鳥居交差点から先は、歩道が無く、交通量も多いので、注意!
   
しばらく行くと能勢カントリーの入口に「一の鳥居」が建っている。元々は一の鳥居交差点付近に建っていたようだが、移築された模様。 
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(91)光風台、ときわ台の住宅地を抜けたところで、左に坂を下っていくと、能勢電の終点 妙見口駅がある。
(92)その先、吉川自治会館前に、常夜灯と道標がある。この常夜灯は、文化5年(1808年)に西方寺付近の街道合流地点付近に建っていたもので、この場所に移築し、磨き上げたものです。
(93)その先、左手に妙見山の丁石がある。これは二十二丁石。
(94)国道に合流し、すぐ右手に、常夜灯がある。国道は土を削って掘り下げてあるが、街道はこの常夜灯の高さにあったものと考える。
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その先、右手に妙見山の旧参道の鳥居が右手にある。足元に二十一丁石がある。この後、黒川地区を通り、能勢町に入る。
    国道への合流地点が分かりずらいので、注意すること。
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(96)峠を越え、能勢町に入り、しばらく行くと、野間神社がある。約1400年前、大和布留宮(今の石上神社)から奉遷したのが始まり。
(97)野間神社の先、600m程度先を右に入ったところに、慶長7年(1062年)築城された地黄(じおう)城跡がある。
    この地黄の名は、大和から多くの人が御霊代を供奉移住し地黄草(薬草)を栽培して生業としたため、この名がついたという。

(98)地黄にある酒屋。
(99)倉垣地区に入ったところに、道標がある。
(100)北上する中、右手に歌垣山が見えるが、この歌垣山の説明板が、右手にある。
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(102)摂津と丹波の国境の吉野には、関所があったとされる。
(103)湯ノ花温泉の入口に道標がある。
(104)その湯ノ花温泉の案内板がこれ。ここより、街道は、北方向から東方向へと向きを変える。
(105)湯ノ花温泉を過ぎると、薭田野神社がある。和銅2年(709年)に創建された。悪病退散・癌封じにご利益があるとされる。
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(106)吉川町吉田地区には、このような旧家が多く存在する。
(107)終着点近くの河原町から川を超えた場所に、山陰道の案内板があった。
(108)安町の京都銀行の向かい側に、亀岡町道路元標がある。ここが、能勢街道の終着点になる。

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